岐阜金津園・大垣・名古屋・静岡・三重ソープに関連する事柄をコラム形式で紹介します。

ソープランドの歴史、現在の状況、その他ソープに関する事柄を興味の趣くままに紹介していきます。

コラム~岐阜のソープランドについて~


第8回 金津園・大垣ソープ2017年の年末年始営業

 早いもので2016年も残り少なくなってまいりました。という訳で今回も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
 年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、ご来店前に各お店のオフィシャルHPやお電話などでご確認の上、素敵な姫納め、姫初めをお楽しみ下さいませ♪
 今年も沢山の皆様に金津園ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2017年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

第7回 金津園・大垣ソープ2016年の年末年始営業

 早いもので2015年も残り少なくなってまいりました。という訳で今回も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業 …31日営業、1日休み(もしくは1日不明) …31日休み、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
 年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元旦に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに1/2(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は1/2から通常営業となります。詳しくは、ご来店前に各お店のオフィシャルHPやお電話などでご確認の上、素敵な姫納め、姫始めをお楽しみ下さいませ♪
 今年も沢山の皆様に金津園ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2016年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

第6回 ぎふ長良川鵜飼と長良川温泉フォト

長良川温泉の風景 岐阜の夏の風物詩といえば「ぎふ長良川鵜飼」ですね♪1,300年以上という長い歴史をもち国の重要有形民俗文化財にも指定されている長良川の鵜飼は毎年5/11~10/15まで毎日開催され、期間中は約10万人もの観覧客が訪れます♪今回は近くの「ぎふ長良川温泉」の各旅館で企画されている鵜飼観覧船乗船料と宿泊・食事がセットになった「鵜飼パック」を利用して、6月最後の週末日曜日に鵜飼を観に行ってまいりました(*^^*)♪

 2、3日前までは土日は雨の予報だったのですが、いざ週末になってみるとお天気も良くなって鵜飼観覧にはもってこい(*^^*)♪日曜日の夕方岐阜駅に到着し、タクシーで今回の宿泊先「鵜匠の家 すぎ山」(住所 〒502-0071 岐阜市長良73-1/TEL 058-231-0161)へ向かいます。旅館の場所は長良橋から長良川の右岸を400mほどさかのぼったあたりで、ちょうど川を挟んだ向かいに金華山と岐阜城を望む抜群の立地。旅館の前は長良川の清流に沿って遊歩道が整備され、青々とした山の緑と澄み切った清流を眺めながらの散策は気持ちをとても穏やかにしてくれます。

 17:30に旅館のロビーへ集合し、車で長良橋の南側のたもとにある鵜飼観覧船のりばへ送ってもらいます。のりばにはすでに人だかりができていて、海外からの観光客や浴衣姿の女性もちらほら見えます。17:45から鵜匠による鵜飼の説明。熱のこもった説明に時折ユーモアを混ぜた絶妙は語り口。鵜飼は鵜と人間とが情を通い合わせながら行う共同作業で、父から子へ、子から孫へ受け継がれるその技はまさに岐阜の心を体現しているのだと実感します。

 その後10艘~20艘くらいの観覧船に20~40人ずつくらいに分かれて乗り込み、18:15に乗り場を出航、1.5kmほど上流に設けられた食事用の係留場所へ向かいます。観覧船にはトイレがついており、近くにはトイレ専用船も停泊しているのでいざという時も安心。食事は旅館が用意してくれたお弁当で、お重に入った和食中心の手の込んだ料理の数々に舌鼓♪旅館が船を横付けにして焼きたての鮎の塩焼きを届けてくれたりと至れり尽くせり♪川面を吹き抜ける風も心地よくビールがひときわ美味しく感じられます♪

 1時間ほどの食事タイムの後ボランティアの方による鵜飼の説明があって、19:45に鵜飼の開始の花火が上がると、鵜匠の乗った船が上流からかがり火を炊いて川を下っていきます。空に上った大きな月とライトアップされた岐阜城、川の上で煌煌と輝くかがり火に照らし出された鵜匠と鵜たちの姿は思わず見入ってしまうほど優美で趣があり何とも言えない味わいがあります。

 鵜飼のクライマックスを飾る総がらみでは6隻の鵜舟が横に並んで一斉に鮎を浅瀬に追い込みます。鵜飼の終了は20:30くらいで、その後は再び鵜飼観覧船のりばへ戻り、送迎のバスに乗って旅館へ戻ります。旅館到着後は食堂で出来立ての鮎雑炊を堪能♪鮎の風味がふんだんに感じられる雑炊はまさに絶品♪食後は温泉にゆっくり浸かって、マッサージをしてもらって、ぐっすり就寝しました(*^^*)♪

 旅館に関しては美しい自然に囲まれた静かで落ち着いた立地もさることながら、歴史を感じさせる内装はとても趣があり、部屋からの眺めも良く、温泉もとても気持ちよく満足感たっぷりの内容♪朝食は風味豊かな朴葉味噌や色とりどりのおかずなど味・ボリュームともに◎♪仲居さんやスタッフの方たちの接客も行き届いていて非常に快適な時間を過ごす事ができました(*^^*)♪

 長良川温泉街から金津園まではタクシーを利用して約20分で料金は2,500円前後。鵜飼観覧の後に金津園に行くのは時間的に少し厳しそうですが、普通の宿泊だけでしたらお食事の後に金津園でゆったり羽を伸ばされるのもいいですね♪ご出張やご旅行で岐阜へいらっしゃる方はぜひ一度長良川温泉でごゆっくりと日ごろの疲れを洗い流されてみてはいかがでしょうか(*^^*)♪

↑上の写真をクリックすると大きい写真が表示されます。

第5回 金津園・大垣ソープ2015年の年末年始営業

 早いもので今年も残り少なくなってまいりました。今回も去年と同じようにソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。HPで分かる範囲で掲載していますので、詳しくは各お店までお電話にてお問い合わせ下さい。今年も沢山の皆様に金津園ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2015年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

第4回 金津園・大垣ソープ2014年の年末年始営業

 今回も去年と同じ感じでソープランド店リストの方に扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみました。HPで分かる範囲で掲載していますので、詳しくは各店までお電話にてお問い合わせ下さい。今年も沢山の皆様に金津園ソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2014年もよろしくお願い致します。

第3回 岐阜・大垣市内の桜フォト

 この記事を書いているのはちょうど2013年桜シーズン真っ只中の3/31ですが、今年から岐阜・大垣市内の桜の名所を巡って桜フォトを少しずつストックしていくことにいたしました♪もちろ~んお花見でいい気分になった後は可愛いピチピチGALが勢揃いの金津園・大垣ソープですっきりリフレッシュしちゃいましょう~(*^^*)♪

↑上の写真をクリックすると大きい写真が表示されます。

第2回 金津園の歴史

かつての金津遊郭大門通りの突き当りは現在噴水になっています。  現在、加納水野町に一大ソープ街を形成し全国にその名を知られる金津園ですが、その歴史は岐阜市の発展と密接に結び付き、岐阜という地域を深く知る上でもその存在は決して無視できないものです。風俗、ソープという業態の性格上、ややもすれば歴史の陰に埋もれがちではありますが、かねてより長良川の鵜飼とともに岐阜の観光産業の躍進に大いに寄与した金津園、そして金津遊郭の歴史を今一度深く掘り下げて調べてみることにしました。

 金津園の前身、金津遊郭が西柳ヶ瀬に誕生したのは今から124年前の明治21年(1888年)のこと。それ以前は美江寺大門前の妓楼や加納宿の旅籠屋などが娼妓や芸妓、飯盛女を抱えて営業していましたが、明治5年(1872年)のマリア・ルス号事件を発端とする芸娼妓解放令により、単なる宿屋への転業や廃業を余儀なくされました。その後東京府をはじめ、愛知、三重など多くの県で貸座敷業として遊郭の設置が許可されましたが、岐阜県では許可されず県民はしかたなく川筋を下って桑名まで遊びに行っていたそうです。ちなみにその頃の岐阜市はまだ岐阜町で、当時繁華街は末広町から伊奈波にかけて広がっていました。そんな中明治15年(1882年)には芸妓の開業が許可されました。当時の芸妓は「華陽芸妓」として岐阜の繁栄に大きな役割を果たしています。

大門通りから高野町2丁目方面を眺め
る。遠くに見えるのは若宮町6交差点。  その後時代の進展とともに遊郭の必要性が論じられ、明治18年(1885年)には小林哲治郎、渡辺甚吉、坂井田民吉らが発起人となり遊郭設置運動が展開されます。「岐阜ハ日ニ月ニ発展シ居ル繁昌都市也、近隣ハ遊郭ヲ許サレ居ルニモ拘ラズ唯本縣ノミガ許サレザルハ実ニ恥辱ナリト思料ス云々」という遊郭開設の認可嘆願書に対して、内務省は「四隣ハ遊郭アルモ貴縣ノミ遊郭ナキヲ以テ誇トスベキニ拘ラズ、恥トハ何事ナリヤ、心得違ヒモ甚シク関係者一同ニ、篤ト申シ聞カセラレタシ云々」と拒絶しましたが、明治20年(1887年)、小林哲治郎、大屋富次郎、千種治平、坂井田民吉が発起人となって再度開設運動が起こされ、今回は理論的に遊郭の必要性を論じ開設を嘆願したところ、「申ス如ク正当ナルモノト認ム」として開設が仮認可されました。折しも明治21年(1888年)、市制、町村制が公布され、岐阜町でも市制移行のための市区整理などに要する費用を賄うために遊郭の設置は必要不可欠でした。そこで、早速候補地に挙がった上加納村字金津及北海道の一郭において普請が開始され、普請竣功の明治21年7月30日に正式に許可され、同年8月16日より向こう15年間の営業が許可されることとなりました。(地図の下へ続く)

↓下の地図は昭和初期の西柳ヶ瀬金津遊郭のおおまかな店舗の分布を現在の地図上に再現したものです。通りの名前やお店の位置、名前は「岐阜市史 史料編 近代二 P264」と「ふるさと岐阜の物語(大正編)」を参考にしています。当時存在した通りで現存しないものに関しては、薄いピンク色で書き足しています。若宮町7の交差点から西柳ヶ瀬の噴水を経て南西へと伸びる通りには昭和初期まで掘割が通っていました。

かつての金津遊郭MAP

かつての金津遊郭大門通りの突き当りは現在噴水になっています。  明治21年11月3日金津郭において2軒の妓楼が開業し、明治22年正月には22軒にまで増え、最初の内こそ押すな押すなの大盛況だったものの、町並みから離れた田圃の中の一郭という土地柄のためか次第に客足も遠のき、妓楼の経営も日に日に厳しくなってきました。ところが、明治24年(1891年)10月28日の濃尾大震災によって、昔の美江寺大門前を始め小熊の東別院大門以北から岐阜市はほとんど灰燼となったものの、新しく出来たばかりの金津郭は完全に焼け残り、岐阜市復興のため各地から入り込んだ職人たちが稼いでは廓に通ったため、たちまち全盛を迎え、その後の金津郭の繁栄の基礎を築き上げました。

 【張店について】 遊郭のシステムで「張店(張見世)(はりみせ)」というものがありますが、張店とは、テレビの時代劇でも見られるように、格子越しにお客が品定めできるよう娼妓が店の往来に面した所に居並んでお客を待つことを言います。美江寺大門前時代の張店はすべて道路に面して並んでいましたが、金津郭になってからは形式が一変、貸座敷という事になり、張店も全部家の内部で格子を立てて並んでいたそうです。

 明治33年(1900年)、函館の娼妓坂井フクの廃業訴訟に端を発し、全国で娼妓自由廃業運動が吹き荒れます。当時の娼妓は前借金で縛られた年季奉公の身であったため、足を洗うには自分の意志でやめる自由廃業が近道でした。ただ、廃業の自由はありましたが、その借財は民法の上で帳消しとされることはなく、翌年には廃娼運動も鎮静化を迎えます。明治34年に上加納村が岐阜市に合併。上加納村に金津郭ができて以来、岐阜市は南へ南へと発展し、この頃には八間道の両側にも家並みが連なっていました。金津は新しい岐阜の中心として柳ヶ瀬の繁栄と両輪をなし、昼夜を通じて一般市民もここを通ることに不思議を感じないほどの存在になりつつありました。明治44年2月岐阜に電車が駅から今小町まで開通。これを機に八間道の柳の並木の下に並んだ露店の灯は柳ヶ瀬へと移り、金津郭のさらなる発展へとつながっていきます。(地図の下へ続く)

↓明治維新当時、矢島町より西は多くの寺があったものの人家はほとんどありませんでした。明治6年(1873年)に県庁が笠松から移転。その当時は伊奈波末広町が繁華街の中心でしたが、時代とともに柳ケ瀬方面へ西進、南進していきます。下の地図は明治24年(1891年)から平成24年(2012年)にかけての岐阜市繁華街中心部の地図です。地名や建物名はかならずしも当時のものを反映していませんので参考までにm(__)m 間違い等ありましたらその都度修正していく予定です。

明治24年(1891年)の地図(等倍 1,600px × 2,000px) | 大正9年(1920年)の地図(等倍 1,600px × 2,000px)
昭和22年(1947年)の地図(等倍 1,600px × 2,000px) | 昭和45年(1970年)の地図(等倍 1,600px × 2,000px)
平成6年(1994年)の地図(等倍 1,600px × 2,000px) | 平成24年(2012年)の地図(等倍 1,600px × 2,000px)

旧金津遊郭があった柳ヶ瀬周辺MAP

 明治41年(1908年)8月21日には、金津遊郭20周年祝賀煙火大会が開催され、3日連続で花火が打ち上げられます。明治期の煙火は昼の花火が多く、煙による菊、あるいは「フクラモノ」という紙で作った風船を落下させ、大人も子供も長い竿をもって追いかけたりしたそうです。明治42年(1909年)駆黴院を新築。のち金津病院と改名され県立病院と同等の扱いとなります。この頃の金津郭は十八樓、豊本、山縣屋が昔からの暖簾でしたが、大正10年(1921年)頃から浅野屋が売り出しはじめます。浅野屋の創業は明治末ですが、浅野屋の主人浅野増市が菊人形で稼いだ資金をもとに、二代目浅野善吉が設備を一新する改築を行い、全国から集めた美妓30余名を第一級の芸・娼妓に仕立て上げ、東京と大阪を結ぶ東海道本線車中の口コミなども使って大々的に宣伝を行いました。営業面でも一見のお客はとらず、旅の豪遊客や紳士、旦那衆などを相手とする営業方針が当たったと言われています。

【浅野屋】 浅野屋について、昭和11年、岐阜で躍進博覧会が開かれた時の「花柳界案内」に次のようにしるされています。
 「東京・大阪の豪商紳士をはじめ、あらゆる名士が鵜飼見物に事かづけ岐阜へシケ込むところに金津の浅野屋がある。浅野屋は東海否日本一の遊女屋であるとのウワサは、一度、岐阜へ足を入れたものは誰でも知っている、浅野屋がなぜこんなに有名になったのか、それはここにかぎって遊女屋にきたような気分を一掃してしまうことである。部屋の美麗なことはいうまでもなく、男女風呂などあって、各種の設備が整い、娼妓の素養は決して全国にその比を見ないであろう。鳴物、舞踊はいうまでもなく、浪曲、義太夫、長唄、常盤津をはじめ、生花、茶の湯、囲碁にいたるまで、常に教育して客の相手をするのである。さらに特徴は約30人の妓が、いずれおとらぬ美人ぞろいである。したがってここには店先にホールや写真の設備はないが、登楼して、後悔するようなことは決してない。」


 大正2年、岐阜駅が長住町(現十六銀行付近)から橋本町(現位置)へ移されます。この移転によって電車道は南に新駅まで伸び、従来の「八間道」は「電車通り」と名をかえ、この電車通りは本町から長良橋南詰まで岐阜市を縦貫することとなります。大正3年には電燈値下げ問題による全市消灯中の金津廓で雪洞(ほんぼり)が使用され、かえって風情があるということで評判でした。
 大正7、8年頃、弥八の三昧が取り払われて、美殿町で火災に遭った美殿座が映画館となって美殿館が若宮町にでき、この界隈一帯が芸者屋、待合、料理屋ばかりになりました。すなわち、金津を起点として東へ広がる、弥八町、住吉町、高岩町、西園町、美浪町、一番町、二番町界隈が柳巷狭斜の地となり、伊奈波末広町からはすでにかつての賑わいが失われていました。

【張店から写真制へ】 大正5年頃、東京吉原で張店が禁じられてから、次第に金津でも張店をしない店ができはじめ、大正13、4年頃県会で正式に張店が禁じられ写真制に移行しました。(※資料によっては大正9年に金津での張店が廃止されたと書かれているものもあります)このような措置がとられた理由としては、待合の増加によって町中のいたるところで客引きが行われ、監督官庁の目に余ることになった、また妓楼も同様に店先でお客の奪い合いが行われていた、娼妓にとって張店は人権無視にあたる、などが挙げられます。
 写真制への移行後、妓楼の玄関口の壁に半切大の娼妓の写真が並べられます。並び順については一番右に「お職」(※前月の売り上げナンバーワンの娼妓。遊郭時代も娼妓には序列が設けられ本部屋の位置などもその序列にのっとって決められていた)、以下売り上げ順となっていました。この頃の写真は「擦筆画(さっぴつが)」といい写真をもとに作られた肖像画だったため実用には適していませんでした。その後、顔を見るだけでわいわい楽しんでいた素見のお客が来なくり、通りも段々寂れてきたため、当時豊橋の東田遊郭の形を倣って、溜場に娼妓を集め客に見せたり、写真の前で娼妓と客を直接交渉させるようにしました。最初畳敷でしたが、次第にカフェーのような構造となり、娼妓たちも腰かけるようになってきたそうです。


 昭和2年(1927年)1月28日、組合事務所、同炊事場が新築されます。不景気のため妓楼で出される娼妓の食事が悪くなり、「食事くらい普通に食べたい」という要望が聞き入れられ共同炊事を手掛けることになったそうです。
 昭和3年11月には、金津創設30周年記念事業として花魁道中が開催されます。櫛、笄簪(こうがい)で頭を飾り、ウチカケをまとい、花魁の前を先導する禿(かむろ)二人が大きな箱提灯を下げ、後ろから下郎が大日傘を差しかけます。花魁はこれらを従え、黒塗り、三本歯の高下駄をはき、いわゆる「外八文字」を踏みしめ、廊内をゆっくり道中します。美江寺郭の時代には毎年春年中行事として催されていましたが、今回は金津始まって以来の豪華版でした。この時、吉原仲之町を形どって桜が植えられ、翌年に人形も飾られます。

【「回し」と「仕切り」について】 「回し」とは、妓が客をとる時、一時に二人以上の客をとることを言い、「仕切り」では、一時に妓はただ一人の客をとり、その客のいる間は他の客をとらないことを言います。「回し」は主に関東の風習で、「仕切り」は関西の風習と言われています。金津では明治25年以後、客引きに牛太郎ではなく女性の仲居があたるようになりましたが、それも関西の風習への転換と言われます。「仕切り」制度では「すでに売れている妓」と遊ぶことはできないため、常に現在空いている妓と遊ぶことになります。客と妓との交渉は仲居の仲介によって成り立ち、その第一夜を「初会」、2度目を「裏を返す」、3度目以降を「なじみ」と呼びます。この呼び方については吉原など関東の他の地域にも見られるものです。

 昭和7年(1932年)3月には、金津でカフェー化が許可されます。昭和11年(1936年)10月には第2回花魁道中が開催されます。このころが金津の最盛期と言われ、廊内には妓楼が49軒、揚屋が「紅葉屋」、「一元」、「得月」、「新福岡」の4軒。これらに付随する料理屋が「井桁屋」と「増美」、高級菓子店「後藤」。人力帳場が6軒。射的屋(タバコ落とし)2軒。玉突き「増田」と半弓遊技場、おでん屋2軒、居酒屋2軒、うどん屋「美濃清」、「尾張屋」、「吉安」、「十銭食堂」、「来々軒」、「改進亭」。喫茶店1軒、花屋1軒、郵便局1軒、髪結「田中」、かざり屋「稲川小間物店」、八百屋1軒、写真店、洗い張り屋「江戸屋」、床屋「山吉」、口入れ屋、質屋、組合事務所、金津病院、坂井田民吉(自宅)、稲荷神社があり、宵のうちの賑わいは柳ヶ瀬とほとんど変らないくらいのものでした。
 昭和17年(1942年)3月23日には浅野屋が突然の廃業。そして、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)には金津郭の妓楼のほとんどが長森の手力へと移され、その跡地は川崎航空機の寮となり、浅野屋の跡地には産院ができます。それも束の間、同年7月9日の岐阜空襲で全てがことごとく灰燼と化してしまいます。(地図の下へ続く)

↓昭和22年の岐阜市の地図から岐阜県岐阜市手力町周辺をトリミングしています。ちょうど現在の芋島1交差点から北西方向へ妓楼が立ち並び、雰囲気としては学校の寄宿舎のような感じだったそうです。

手力に移転後の金津郭周辺MAP

 終戦とともに公娼制度が廃止され、従来の娼妓という肩書はなくなり、彼女たちは全て「女中さん」となります。そして、太平洋戦争末期から長森東中島に疎開していた金津遊郭は、昭和25年(1950年)10月から11月にかけて加納水野町へと移転し、金津園と呼ばれるようになります。金津園はここで売春防止法が施行される昭和33年(1958年)まで営業を続けることとなります。加納水野町への移転は総工費1億円あまりかかったそうで、この時の店舗数は72軒、女中さんの数は300人余りでした。お客が払う料金は40分300円~1時間500円、泊りで700円~1,000円が相場で、他にも廓内には手軽な料理屋や飲食店が立ち並び大いに賑わっていたそうです。(このコラムですがいろいろ調べながら書いていますので、間違いや新しくわかった事がありましたらその都度修正していく予定ですm(__)m)

↓昭和25年の岐阜市の地図から加納水野町周辺をトリミングしたものに、加納水野町へ遊郭が移転した当時の建物名、店舗名を書き足してみました。昭和25年当時は地図上の水色のラインで表示されている部分に溝があって川が流れていました。建物名に関しては「観光岐阜 P33」の「金津園細見圖(あんないず)」を参考にしています。

水野町に移転後の金津園MAP

【参考HP】
岐阜芸妓組合
花魁道中絵はがき(岐阜金津)」(岐阜県図書館
柳ヶ瀬ができたころ」(<ふるさと岐阜の歴史をさぐる>
【参考書籍】
「ふるさと岐阜の物語(明治編)」(清信重著)
「ふるさと岐阜の物語(大正編)」(清信重著)
「観光岐阜」
「ふるさと秘話」(道下淳著)
「岐阜市史 資料編」

第1回 あのお店は今?

 今回は岐阜、愛知、静岡、三重のソープランドについて、「昔行ったことがあるけど最近行ったらお店がなかった・゚・(ノД`;)・゚・」という方のために、分かる範囲で店名の移り変わりを調べてみました。今回参考にしたのは手元にあった2003年度版の風俗MAPと、金津園ワールドソープランド 情報ガイド ロビンのお部屋、あと2ちゃんねるの過去ログ、「月刊ミューザー27・33・42号」、「にっぽん全国盛り場ガイド」なども参考にさせて頂きました。「こんなお店もあった」、「ここが間違ってる」という時は、お手数ですがメールにてお知らせ下さい。

現在の店名
(リンクはストリートビュー or 地図)

店名の移り変わり( 新 ← 旧 )

《 金津園 》

青いりんご

青いりんご ← ナポレオン

aQua(アクア)

aQua(アクア) ← クラブE ← くらぶ美人(美人) ← ギヴ(GIVE) ← サンクチュアリ ← ネオパイナップル ← 11PM ← (大使館) ← (エールフランス) ← (英国屋)

イビサテラス

イビサテラス ← ラブコール ← トキハ ← 王様と私 ← アマゾネス

入船(いりふね)

入船(いりふね)

いろは

いろは

ウェットフラジール

ウェットフラジール ← リトルエンジェル ← ロマン ← 国華新館 ← 国華

英國屋

英國屋 ← 英国屋 ← (英国屋別館(アネックス)) ← ダイヤモンド

AAライン

AAライン ← エリザベス ← 満丸

エディーズ

エディーズ(ニューエディーズ) ← (H13) ← ソウル ← 一番

エデン

エデン(メンズクラブエデン) ← ロイヤルエデン ← ロイヤルガーデン

MGM COLLECTION(エムジーエムコレクション)

MGM COLLECTION(エムジーエムコレクション) ← MGM(エムジーエム) ← 八千代

艶(えん)

艶(えん) ← ニューランバン ← ランバン

想い出

想い出

気まぐれ天使

気まぐれ天使(きまぐれ天使) ← Kiss(キス) ← 倶楽部ラスター(クラブラスター) ← プリンセスクラブJr ← 恋女 ← コンパニオンクラブ ← 現代鹿之介 ← 玉椿 ← シースルー尼寺 ← 江戸城 ← 七色

クラブ エル

クラブ エル ← エル ← 宝和レイク ← レイク

クラブロイヤル

クラブロイヤル ← マスターズ ← あもん ← グランドバレー ← 百花

Sabbat

Sabbat ← ひつじの群れ ← グランド金生 ← 金生

GG(ジー・ジー)

GG(ジー・ジー) ← ホワイトハウス

紫音

紫音(シオン) ← どんぐりはうす ← 女女 ← 歌舞伎(カブキ)

シャトールーブル

シャトールーブル ← ロートレック ← (旧)シャトー・ルーブル(ルーブル) ← ロイヤル貴族(貴族)

重役室

重役室

ジュリエット

ジュリエット ← 愛の園 ← 愛一輪 ← B.Cガールズ(BCガールズ) ← はにーべる ← パールヒルトン ← 徳栄

シルクロード

シルクロード ← 十四樓(十四楼)

スチュアーデス

スチュアーデス ← スチュワーデス

C'est裸美(セ・ラヴィ)

C'est裸美(セ・ラヴィ)(セ・ラ・ヴィ) ← クリスタル ← ローマ

ZERO-i(ゼロアイ)

ZERO-i(ゼロアイ) ← 真里谷 ← クィーン ← バロン ← 国華

時計台

時計台 ← リムジン ← 異人の館

ドルチェビィタ恵里亜

ドルチェビィタ恵里亜 ← 恵里亜 ← 夢の国 ← 志きしま※

ニューパートナー

ニューパートナー(NEW パートナー) ← 夢ロマン ← ロマン ← バージンロード ← (いちごらんど) ← いちごミルク(イチゴミルク) ← パラダイス成人 ← (バーデンバーデン) ← (バージンロード) ← 成人学園

バースディ

バースディ ← 蠍 ← 徳川

ハートムーンプラス

ハートムーンプラス ← ハートムーン ← ハートムーンプラス(クラブハートムーン) ← かぐや姫 ← ニュー皇帝 ← 皇帝

秘書コレクション

秘書コレクション ← ダイヤモンドクラブ(再開) ← ダイヤモンドクラブ ← (旧)ダイヤモンドクラブ ← ニュープレジデントクラブ ← ラジューム

人妻専科 ピエロ

人妻専科 ピエロ(人妻専科 PIERO) ← 裸の王様 ← ローズシャネル ← 鎌倉御殿 ← 京都 ← 飛騨の里

ヴィーナス

ヴィーナス ← ビーナス ← 老松

ViVi(ヴィヴィ)

ViVi(ヴィヴィ) ← スターキャッツ ← ラピス ← V28 ← ディスコクラブビビ ← 女王蜂 ← 女学院 ← 今春※

美Majo(ビマジョー)

美Majo(ビマジョー) ← バナナピースディスティニー ← ディスティニー ← ラヴィアンローズ ← クラブ19 ← 病院H13 ← ニュークイン ← ダービー

BLACK KNIGHT(ブラックナイト)

BLACK KNIGHT(ブラックナイト) ← 黒騎士 ← 三好廼(みよしの)

プレイガール

プレイガール ← プレイボーイ ← 三楽

プレステージ 特別室

プレステージ 特別室 ← 特別室 ← 飛天 ← 迎賓閣 ← 迎賓館 ← ニューたつみ ← 喜久春※ ← 豊明※

ムーンライト

ムーンライト ← 一徳(一億)

館(やかた)

館(やかた) ← コンチネンタルクラブ男爵 ← 桃山御殿

八星(やつぼし)

八星(やつぼし) ← Urbanマキシム ← シーレイ(クラブシーレイ) ← (旧)マキシム ← ルパンIII世

ラブティファニー

ラブティファニー ← ティファニー ← ダイナマイト ← 夢・空・館 ← ヤァ・ヤァ・ヤァ

LOVE MISSILE(ラブミサイル)

LOVE MISSILE(ラブミサイル) ← リッチドール ← 時計台 ← ジルコン

リージェントクラブ貴公子

リージェントクラブ貴公子 ← 貴公子

ルネッサンス

ルネッサンス

ROYAL CLUB 姫(ロイヤルクラブ姫)

ROYAL CLUB 姫(ロイヤルクラブ姫) ← 姫 ← 男妃瑠 ← 天国

ロマネ

ロマネ ← アマン ← ニューパートナー ← タレント倶楽部(タレントクラブ) ← パートナー ← 白熊

L’orange(ロランジュ)

L’orange(ロランジュ) ← NEWセントレア(ニューセントレア) ← ラ・カルチェ ← ワシントン ← ニュー香港(ホンコン) ← 美和※

《 大垣 》

城東荘(じょうとうそう)

城東荘(じょうとうそう)

スイトサロン

スイトサロン

《 名古屋 》

アラモード

アラモード ← アラビアンナイト

インペリアル福岡

インペリアル福岡

F&J(エフアンドジェイ)

F&J(エフアンドジェイ)

末広(すえひろ)

末広(すえひろ)

ドマーニ

ドマーニ ← 三角荘

ニュースカイ

ニュースカイ

ニュー令女

ニュー令女

ハーベストムーン

ハーベストムーン

パラダイス

パラダイス

ファースト

ファースト

ブラジル

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メンズバス山水

メンズバス山水

令女プール

令女プール

《 熱海 》

鎌倉御殿

鎌倉御殿

ヤングレディー

ヤングレディー

《 浜松 》

スチームバス浜松

スチームバス浜松

ヘルス白山健康センター

ヘルス白山健康センター

《 沼津 》

インペリアル秘苑

インペリアル秘苑

狩野川ヘルス

狩野川ヘルス

ニュースルガ

ニュースルガ

ヘルス ニュークラウン

ヘルス ニュークラウン

《 三島 》

銀座ヘルス

銀座ヘルス

《 富士市 》

ヘルス東京 富士店

ヘルス東京 富士店

ヘルス東京 吉原店

ヘルス東京 吉原店

桃山(ももやま)

桃山(ももやま)

《 静岡市葵区 》

ヘルス東京

ヘルス東京

《 津 》

徳川

徳川

《 四日市 》

シルクハット

シルクハット

タレントクラブ

タレントクラブ

《 閉店、移転または休業中のお店 》

《 金津園 》

赤いリボン

更地 ← 閉店 ← 赤いリボン ← エコー

Adam&Eve(アダム&イブ)

閉店 ← Adam&Eve(アダム&イブ) ← 青いりんご・ANNEX(アネックス) ← ラ・ヴェール ← VIP

伊加利

更地 ← 閉店 ← 伊加利

生☆(口偏に妾)(いけずき・いけづき)

駐車場 ← 閉店 ← 生☆(口偏に妾)

生☆(口偏に妾)トルコセンター

駐車場 ← 閉店 ← 生☆(口偏に妾)トルコセンター

入船別館

駐車場 ← 閉店 ← 入船別館

オレンジハウス

NEWセントレアの場所に移転&店名変更 ← オレンジハウス ← シークレット

カッパ

道路の一部(昔あった大衆酒場たぬきの道路を挟んだ反対側) ← 閉店 ← カッパ

キャッツアイ

休業中 ← キャッツアイ ← エンパイア ← エムジーエム ← (MGMパートII) ← (ジャパンカントリークラブ)

GOLDS model's(ゴールドモデル)

休業中 ← GOLDS model's(ゴールドモデル) ← ジェリービーンズゴールド ← ゴールド

コットンクラブ

休業中 ← コットンクラブ ← (旧ステーションへ移転) ← すずめの宿 ← すずめの学校(スズメの学校) ← 岐阜(ギフ)

すずめの宿

休業中 ← すずめの宿 ← スティーション(ステーション) ← アネックス(ANEX) ← G&L ← マドリード

DURAS CLASSIC(デュラスクラシック)

休業中 ← DURAS CLASSIC(デュラスクラシック) ← ボンボン

ニューキヨコマ

館とハートムーンの間の駐車場 ← 閉店 ← ニューキヨコマ

ニュージャパン

更地 ← 閉店 ← ニュージャパン ← ニュージャパンワールド ← ニュージャパン

ニュートルコ18

艶と英國屋の間の駐車場 ← 閉店 ← ニュートルコ18(18・十八)

梅月

LOVE MISSILEとDURAS CLASSICの間の駐車場 ← 閉店 ← 梅月

花手毬(はなてまり)

閉店 ← 花手毬 ← 五番館 ← 壹万館 ← 利休 ← 大奥 ← ゴーゴー

ハワイ

住宅 ← 閉店 ← ハワイ

別館熟女くらぶ

(人妻専科 ピエロと統合) ← 別館熟女くらぶ ← ピエロⅡ ← フォーグレイ ← えっち倶楽部(Hくらぶ)(Hクラブ) ← サテンドール ← サムタイム ← フレッシュバス れもん ← スターダスト ← クレオパトラ

PREMIUM(プレミアム)

休業中 ← PREMIUM(プレミアム) ← ナースです! ← トライアングル ← キング

フレンド

休業中 ← フレンド ← フレッシュ ← 別世界 ← 御門(ミカド)

宝石

更地 ← 閉店 ← 宝石 ← 貴族

ホワイトローズ

閉店 ← ホワイトローズ

益田

休業中 ← 益田(マスダ)

萬丸

元ハワイの向かいの駐車場 ← 閉店 ← 萬丸

メルヘンくらぶ

コットンクラブの隣の駐車場 ← 閉店 ← メルヘンくらぶ ← マリオネット ← ニュー金生 ← 金生別館(金生)

美穂

エデンと特別室の間の住宅 ← 閉店 ← 美穂 ← たつみ本館

《 岐阜市蕪城町 》

国際トルコ

蕪城パークの向かいの駐車場 ← 閉店 ← 国際トルコ

《 岐阜市銀町 》

ヒカリ荘

銀町5の駐車場 ← 閉店 ← ヒカリ荘(1976年頃)

《 美濃加茂 》

特浴おおはし

閉店 ← 特浴おおはし

ヤングオーハシ

閉店 ← ヤングオーハシ

《 名古屋市中村区 》

新金波

閉店 ← 新金波

ニューづか

閉店 ← ニューづか

 金津園の今と昔のソープランドMAPを比較しやすいように重ね合わせてみました。1984年以前、ソープランドはまだトルコ風呂(トルコ)と呼ばれていました。金津園の地図にトルコの文字が出てくるのは1960年代前半になりますが、年代をさかのぼるとトルコと料亭・カフェなどの飲食店、旅館、その他商店の判別がしづらくなってきますので、地図にトルコと書かれているお店は 印、それ以外の業態が分からないお店は 印と分けています。また1958年(昭和33年)以前はまだ遊郭として営業していましたので、その時のお店も 印にしています。今回参考にさせて頂いたのは「月刊ミューザー27・33・42号」と「にっぽん全国盛り場ガイド」、「観光岐阜」、「ふるさと秘話」、当時の市街図です。他の年代のMAPは当時の市街図と照合しながら随時追加予定です。

1955年の金津園MAP

 金津園が岐阜駅南口に移転した当時の雰囲気や情緒がよく分かる文章として前出の『観光岐阜』(観光岐阜・1950,1951)と『ふるさと秘話』(道下淳/著・ぎふきた法人会・1988-1991)から抜粋してみました。

 「いよいよ昭和二十五年十月より十一月にかけて手力の金津園は悉く引き移った。岐阜駅の正面を出ると線路に沿って広いコンクリートの道路を西へ二丁ほど行く、橋がある、それを渡って左へ折れ、溝に沿って踏切を越すとすぐ金津園。駅の南口からは右に折れ、線路に沿って西へ二丁程真っ直ぐに行けば、目を瞑っていても金津園の郭内へ入っていく。
 だから汽車の時間の都合で一寸素見しにでも立ち寄ることができる。ここで泊って汽車の旅に出るにはまことにお誂え向きの場所。こんな便利な場所に一郭をなしている処はおそらくどんな都市にも見られないであろう。
 店の数は七十二軒、工費一億余円で全部新築された偉容で、ネオンの光、目に触るるもの皆感じの良い新設備、現在女中の数が三百余人、いづれ近い中に五百人以上になる見込み。
 大概時間切三百円から五百円、泊り七百円から千円見当で面白く遊べるから、下手に宿屋などで泊るより遥かに安上がりで情調的だ。旅から来て退屈しないといわれている目下旅館と金津園のクーポン券も計画されており、実現の暁は相当利用されることであろう。
 金津園の前にはハルピン街(※1)が軒を並べて櫛比しているから、寂しいという気持ちは抱かない。ふらふらとここらあたりを素見してから流れ込むのも良い。
 岐阜は昔から遊んで感じがよいと云われるのは、客を祭り上げて金を絞ると云う事をしない事と、どんな旅の客でも見懸けをやらぬ事と、而も昔からマワシ部屋をしないのが、岐阜へ来た一般の客から好感をもたれている。
 戦前浅野屋の評判は今さら喋々するまでもないが、当時女が足らぬ時には皆他の店から繰り出したのであるから、要は当時の浅野屋は金津の看板であったと云ってよい。ところが今ではヨリ民主的な、ヨリ経済的な、ヨリ豪華的な遊興ができる。
 観光岐阜市として今や長足なる発展をなしつつある今日、土地の客は申すまでもないが、金津園では旅のお客に岐阜の情調を味わってもらう様今後は万全を尽くすと云っている。金津園がここへ移ってきたのも一に其処にある。とにかく新装の出来上がった東海の花は上下向きのとき見落とすことのできない名物の第一指である。
 「籠の鳥」という言葉の如く、昔の娼妓達は奴隷であり、何等の自由もなく、また一家の犠牲となって身を沈めている者が殆どであったので、今や遊郭史上の一劃期を成したのである。
 人身売買を禁ぜられた彼女たちは、悉くが自らの意志によって働いている人間たちばかりであるから、人間を商品として扱った過去の時代と今日とは実に雲泥の差がある。
 鵜飼を見る客がこの夏には相当金津園を利用する事だろうとみられている。
 元来手力の金津園は学校の寄宿舎のような感じであったが、それに比してもあまりにも今度は豪壮である事は、新しい気分の家を見るだけでも価値があると思われる。」

 ※1「ハルピン街」…戦争で焼け野原となった国鉄岐阜駅前に、北満州(今の中国北東部)からの引き揚げ者たちが中心となって、バラック小屋をつくり、古着や軍服などの衣服を集めて売りました。これはハルピン街と呼ばれ、岐阜問屋街の始まりとなりました。昭和23年頃からは古着ばかりでなく、布を一宮や羽島から仕入れ新しい服を作って売るという岐阜の既製服産業が始まりました。(岐阜婦人子供服工業組合HPより)

 「昭和二十年初め全部南長森の手力に引移させられた金津園は、さらに同二十五年十月に現在の岐阜市加納へ新しい金津園として一億円の工費を以て新装成り、岐阜駅下車して徒歩三分、駅の表口からでも南口からでもどちらからでも汽車の線路の下る方へ沿って、表口からの人はコンクリートの大道を西へ二丁、橋の袂から折れて溝に沿い、踏切を渡れば直ぐに金津園。南口の人はそのまままっすぐに西へ一丁行けば目を瞑っていても園内へ入ってしまう。
 全部が新築新設備であるから、ネオンの光、紅粉(べにとおしろい)の香、最もよく調和して、そぞろに遮莫の感にうたるるも宜(むべ)なる哉である。
 女中紅裙(こうくん)の数まさに五百たらんとし、長良川の清流と金華山の青葉にはぐくまれて、昔から岐阜美人と称され最も美しい妓が多い。最明寺入道北條時頼が諸国を行脚して「美濃国の風俗其意地きれいにしてたとへば水精の如し云々」と『人國記』に評した如く、第一感じの好い女が多いという事である。
 駅へ非常に便利であるから、途中下車で一寸旅情を慰むることもできるし、また今日一番多く利用されているのは宿屋の代用である。しかもその方が却って経済的で、情調的であることは今さら贅言を要しないであろう。
 郭内には手軽な料理屋や頃合いの飲食店が櫛比しているし、登楼して一献を傾けても、ビール一本口取付百八十円、一級酒一本百円、二級酒一本八十円と相場が定まっている。そして遊興は、一仕切正味四十分見当約三百円、正一時間約五百円というのが通り相場で、泊り夜の十二時から朝の八時まで七百円から千円見当、それで十二時を過ぎて一時二時となれば、店によって交渉の余地のあるところもないでもない。
 すべてこれにはチップが含まれているから別に心配しなくともよいが、チップを出しても処罰されるわけでもないから安心してよい。園内に専属の完備した病院があって、衛生には万全を尽くしているから、健康なる紅裙ばかりであるといってよい。

 金津の郭が岐阜に店開きをしたと前後して岐阜に汽車の駅ができた。その時は今の元町一丁目二丁目を金津と呼んでいたので、誰しもここを教えたから、旅客は町並みの商家を裏商売かと早合点し、色々の粋客酔客が紛れ込み、騒がせて時には巡査を呼んできた事もある。こんなことで金津町を元町と改めることとなった。
 今度こそ金津園は本当に駅近くで、そんなナンセンスなく遊ぶ事ができる。
 どこの都市でもほとんど駅から離れ旅情を慰むるのには、あまりにも気抜けさせられるが、それを殆ど一掃するは岐阜の金津園の外にはない。今や店は七十六軒、春の淡雪に又一入の情景を深からしむる。
 窓辺に散りくる白雪がネオンの光に照り映える風情はここならでは味われまい。
 ああ春宵一刻値千金。」

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